しろくま放談(2025,05.05)

皆様お元気ですか?
しろくまです。

今回は、自分の言動が
うまくいかなかった、イマイチだった、頑張りが足りなかった
といった自己評価になってしまった場合のお話です。

あらためて、絶対評価でそのような内容になってしまった場合、
その理由は『ネガティブな結果だったから』
という事になりそうですね。

よく「失敗した」という話を聞きますが、
その次に聞く言葉は大抵「○○しておけばよかった」と
後悔の念を意味する内容です。

さて、ここで質問です。
あなたが過去に失敗したと感じる事があったとして、
それを回避するために、別の選択肢を選んでおけばよかった。
そう感じる事がありましたでしょうか?

では「あった」とお答えになった方に更なる質問です。
その、別の選択肢を選んでいたとして、今よりももっといい未来になっていた
と、証明できますでしょうか?

もしかしたら今よりもっと良いと感じる未来だったかもしれないし、
もしかしたら今よりもっと悪いと感じる未来だったかもしれませんね。
最悪、命を失っていたかもしれません。

そう、別の選択肢を選んだとして、今よりもっと良い未来だったという
保証はどこにもないのです。

という事は、今のあなたは選択肢において
ベストチョイスを選び続けてきた結果の集大成なのです。

別の選択肢を妄想するのは結構ですが、
別の選択肢がベターであったと考えるのは間違いで、
それは自分を苦しめる事に繋がります。

何故なら先程も述べたように、
今のあなたは選択肢において
ベストチョイスを選び続けてきた結果の集大成なのですから、
今の自分を否定してしまう事になります。

でも、自己評価は
うまくいかなかった、イマイチだった、頑張りが足りなかった
という結果は変わらない。

果たして本当にそうでしょうか?

その真実については
また次の機会にお話ししたいと思います。

しろくまは今後も
『どうすれば楽に生きられるか』
を、提案していこうと思っています。

しろくま放談(2025,04.26)

皆様お元気ですか?
しろくまです。

では、自分の責任に於いて自分の言動を自分で評価するには
どうすればいいのでしょうか。

評価の方法は色々ありますが、
今回は『相対評価』と『絶対評価』で考えてみましょう。

簡単にまとめると
『相対評価』とは、複数の対象と比較して行う評価で、
『絶対評価』とは、基準や目標への達成度で行う評価です。

皆さんも何かを評価する時に、
この二つを使い分けているのではないでしょうか。

ただ、殊に自分を評価する際は『絶対評価』にした方がいいでしょう。
自分の言動を他人と比較して評価してしまうと
勢い、低評価になりがちです。

ただでさえ自己肯定感や自己効力感が低い人が
他者と自分を比べて「自分の方が素晴らしい」とは
なりにくいと思います。

ですので、自分の言動については単純に、
うまくいった、よくできた、自分にしては頑張れた。
と、評価していただきたいです。

では、うまくいかなかった、イマイチだった、頑張りが足りなかった。
といった評価になってしまった場合は
どうすればいいのでしょうか。

それはまた次の機会にお話ししたいと思います。

しろくまは今後も
『どうすれば楽に生きられるか』
を、提案していこうと思っています。

しろくま放談(2025,04.05)

皆様お元気ですか?
しろくまです。

自分の責任に於いて自分の言動を自分で評価することは
実はとっても楽な生き方であること…。
それは何故なのでしょうか。

多くの方が『自分の責任』から避けられない状況に
今、正に直面していることでしょう。

できればこれ以上責任を負いたくないと感じるのも無理はありません。
責任を追及されるかもしれないという恐怖と
対処ができるだろうかという不安に苛まれてしまいますから。

故に、自分の言動でさえも他人の評価の下(もと)に為された方が
波風を立てずに済む、その方が楽であると錯覚してしまうのです。

そう、錯覚なのです。

本来、人間は自由である筈です。
それはどのような柵(しがらみ)でも束縛はできない自由です。
人間社会の秩序を維持するために必要な不自由と
その人がその人であるために必要な自由。
そのバランスを適切に見極めて
『ちょうどいい塩梅(あんばい)』を選択すればいのです。

他人に迷惑をかけない、他人の幸せを阻害しない。
そういった基本的な人間社会の秩序さえ守れば
自分の自由を謳歌していいのです。

その生き方こそが実はとっても楽な生き方なのです。

では、自分の責任に於いて自分の言動を自分で評価するには
どうすればいいのでしょうか。

それはまた次の機会にお話ししたいと思います。

しろくまは今後も
『どうすれば楽に生きられるか』
を、提案していこうと思っています。

しろくま放談(2025,03.30)

皆様お元気ですか?
しろくまです。

『障がい福祉に携わる方』
と、ひと括りにしてしまうと
もしかしたら語弊があるかも知れませんが、
ここでは『障がい者への直接支援や相談支援に従事されている方』
とイメージしていただければ宜しいかと思います。

その『障がい福祉に携わる方』の多くが
SOSを発信している事態をご存じでしょうか?

先日、とある事業所の職員さんと
お話しする機会がありました。

その職員さんはご自身の思いの丈を
数時間に亘って切々と述べ、
最後に「今日は話ができて良かった。」と
スッキリとしたお顔で帰って行かれました。

有体に言えば『鬱憤が溜まっていた』のでしょう、
吐き出すことで胸の痞え(つかえ)が
取れたのだと思います。

しろくまは以前から
「どうしたらいいでしょうか。」とか
「どうすればいいか分からない。」と
仰る方が多くいらっしゃると感じています。

この様な機会では必ずと言っていい程、
上記のような発言を耳にしますが、
これは、ご自身の言動に自信がなく
その評価判断を他者に委ねてしまっている方が
多いからであると思っています。

または、自分の理想やそれに近い答えを期待して
他者に決断を任せてしまうといった
責任転嫁から来るものなのかもしれません。

いずれにせよ
「どうしたらいいでしょうか。」とか
「どうすればいいか分からない。」が
口癖のようになっている方は、
ある意味、ご自身の生殺与奪権を他者へ渡してしまっている
ということに気づいていらっしゃらないようです。

他人の目や他者評価を気にしてしまう傾向がある方は
特にそれが顕著なのですが、
故にメンタルを傷つけてしまい
余計に自己評価が下がるといった
ネガティブスパイラルに陥りがちです。

自己効力感、自己肯定感が下がり
ひいては自己否定にまで落ち込む前に
しろくまからの提案があります。

「どうすればいいか」
という他者評価から
「どうしたいか」「どうしたくないか」
という自己決定への転換をしてみましょう。

「自分の責任に於いて自分の言動を自分で評価するなんて恐ろしい。」

そう感じる方もいらっしゃることでしょうが
実は、この行動、いや、この生き方は
実はとっても『楽』なことなのです。

それは何故か?
続きはまた次回。

しろくまは今後も
『どうすれば楽に生きられるか』
を、提案していこうと思っています。

しろくま放談(Introduction)

皆様お元気ですか?
しろくまです。

障がい福祉に携わる方と接する機会の多いしろくまですが、
正に字の如く「身を粉にして」
支援に取り組んでいらっしゃる方が多いです。

それ故にメンタルに大きな負担をかけてしまい、
人知れず医療的ケアが必要になったり、
休職したり退職した…といった話を聞く度に
「何かいい手はなかったのだろうか」と
遣る瀬のない気持ちになります。

障がい福祉に携わる方々が
ご自身の心身に過大な負荷をかけず
ポテンシャルを最大限に発揮するには
どうしたらいいのか

しろくまが見聞きし、体験してきたことの中から
ヒント的なものをありのままに語っていこうと思います。